今、絶望の最中にいる方へ
中坊公平先生『金ではなく 鉄として』
今日は本を紹介したいと思います。読書はそれ自体が役に立つのではありません。その人の情緒を育てます。畢竟、何らかの表現を行う者にとって影響を与えずにはおきません。
私は辛くなるとこの本を読みます。
弁護士として有名な中坊公平先生の本です。
市井に生きる人々の刻苦、慟哭、逞しさ、人情、倫理観、希望。それらが中坊先生の成長とともに露わになるとき『生きる』ということの真理の一端が見える気がするのです。
一度だけ講演を拝聴する機会があり、必死になってメモを取ったのですが、惜しいことにどこへしまい込んだか分からなくなってしまいました。
ご自身の弱さを、人々の悲しさを知っている先生だからこそ、数々の巨大な組織を向こうにまわして、法廷で一歩も引かない戦いを続けることが出来たのだと分かります。実際、有名な『森永ヒ素ミルク事件』のくだりはギリギリの戦いと、それ以上の悲哀に涙無くしては読めません。傷付けた者よりも、自責によって傷付ける行為の救われることの無い絶望は…。
弁護士バッジを外された先生は、晩年を自ら『忍辱の日々』と評されていました。その理由については、興味を持たれた方にお任せします。
人の弱さを知り尽くす先生は本書の中で
『私はひどい劣等生でもあり、結局、弱いけど秀才というのでも、勉強はできなかったけど元気というのでもない、両方ともあかん少年やった。しかし、そんな自分でも、最後はかぶりつき、血を飲みとおしてでも闘う本能を持っていることに気がついた。(略)
自分のような人間は、ほかの人が嫌がってせんようなことでもやらな、生きてけん。けど、そう覚悟を決めたら道はあるのやーー(略)
「萎縮せんかて、人の生きる道はいろいろでっせ、大丈夫、僕だって見てみ、何とかなっとる」という信号を送ってみたい。よろしかったらお付き合い願いたい。』(本書帯より)
また、
『人間が堕ちていくということを、私はあの時いささか知った気がする。これをお読みの方で、今、そうした中にある方がいはったら、も少し先まで、私と一緒に行きまへんか』と優しく語りかけるのです。
まるで自分の為に書かれたのか?と錯覚する程、出来の悪い時分の私の心に沁みました。同じ様に弱さを抱えている方、今絶望している方、一度読んでみませんか?
弱さ故に堕ちて行く先を何度か覗き込んだことのある私は、中坊先生とこの本を旅することで、落涙しつつも立ち上がることが出来ました。
そして今尚、私の作品に影響を与え続けているのです。
一義的な正義など存在しない。それが分かっていても不安で不安で堪らない時、鬼籍に入られた中坊先生に聞かずにはいられないのです。『先生、先生の目を通した正義の向こうの私は、正しく生きていますか?』と。